
荒川区が誕生して今年で71年を迎えました、三河島村・南千住町・尾久村・日暮里村の4町を合併し、荒川区は誕生しました。
原始時代、この地域一帯は大部分が東京湾、日暮里の台地だけが岬となっていました。
この台地から道潅山遺跡や延命院貝塚も発見され、当時集落があったことが確認されています。
江戸地代に近郊農村地帯として注目を集め、汐入大根・荒木田大根・三河島菜(漬け菜)などが有名になり、明治時代には大工場が相次いで設立されるなど、工業地帯が形成されます。大正2年、王電(都電)三ノ輪~飛鳥山下(現在の栄町)が開通し、宅地化が進みます。
第2次世界大戦で、区内面積の約45%が戦災にあい大きな被害を受けますがその後住宅や工場が急速に再建され、住工混在の街を形成するようになります。
昭和40年以降は産業構造の変化や、工場規制などにより、大工場の移転・廃業が続きましたが、その跡地が現在新たなまちづくりの拠点となっています。